※以下、
駐日ノルウェー王国大使館より引用(2004年12月現在)
■ノルウェー王国
国家元首:ハラール5世(King Harald V)
行政の長:ヒェル・マグネ・ボンデヴィーク首相 (Kjell Magne Bondevik)
ノルウェーは北ヨーロッパに位置する立憲君主国です
ノルウェー王国は、スカンジナビア半島北部と西部、それに北部統治領であるヤン・マイエン島とスヴァルバール諸島、ならびに南半球にあるブーベ島、ペーター1世島とクイーン・モード・ランドから成ります。ノルウェーは国土面積ではヨーロッパ第6位の国ですが、人口密度が低く、総人口では28位にすぎません。ノルウェー本土の海岸線の全長は、フィヨルドと入り江を含めて20,000キロメートルを超えています。
ノルウェーは、東はスウェーデン、フィンランド、ロシアと国境を接し、北、西、南はバレンツ海、ノルウェー海、北海, スカーゲラク海峡などの海域に囲まれています。
ノルウェーの国土のうち、農業や林業に適している土地はごくわずかですが、石油、天然ガス、様々な鉱石、水産資源、森林、水力資源などの天然資源に恵まれています。特に海洋区域でこのような資源を持つことで、ノルウェーは国民一人当たりで見ると世界で最も豊かな国のひとつに発展することができたのです。西ヨーロッパの主要な市場が近くにあること、エネルギーが容易に入手できること、工業が広く発達していること、政治が安定していること、教育水準が高いこと、これらの要因もノルウェーの発展を支えています。
1905年に水力発電の発展が、そして1970年代には石油と天然ガスの発見と開発が始まり、1900年代はノルウェーにとって富国の時代になりました。ノルウェーには長い海運業の伝統もあり、世界で第4位の海運国です。
増大する国富を共有する手段として、ノルウェーは積極的な社会的分配政策を実施してきました。この政策によって、地域、性別、年齢もしくは職業に関わらず国民全体の所得の平等を実現して、経済的・社会的にバランス良くまとまった社会を作り出すことができました。
歴史をひも解くと、西暦885年頃ヴァイキングの王、ハラール美髪王によって、複数の小さな君主国が一つの王国に統一されました。キリスト教が伝わったのは西暦1000年の少し前です。1200年代には、ホーコン・ホーコンソン王の統治のもと、この地域の大国のひとつになりました。ノルウェーは1319年に独立を失って1380年にデンマークと連合し、それは4世紀以上もの間続きました。その後、1536年にデンマークの属国となり、1814年、デンマークはキール平和条約によりノルウェーをスウェーデンに割譲しました。このとき独立を取り戻したいと考えたノルウェーは、現在も効力を持つノルウェー憲法を起草して採択しました。ノルウェーがスウェーデン国王を戴く同君連合に入るのを受入れることと引き換えに、スウェーデンはノルウェーが憲法を保持することを認めました。その後ノルウェーはほぼ独立国なみに機能していましたが、スウェーデンとの連合が正式に解消されたのは1905年のことです。
「ノルウェー」という国名は、「北への道」という意味です。
■君主制
ノルウェーの王政はこれまで様々な形で伝えられ、その歴史は1000年以上も前にさかのぼります。ノルウェーは1381年から1814年までデンマークと、その後1814年から1905年までスウェーデンと連合を組んでいました。そして1905年、ノルウェーはホーコン7世のもとに再び独立したのです。
現在の王室のメンバーは、国王ハラール5世(King Harald V)、ソニヤ王妃(Queen Sonja)、ホーコン皇太子(Haakon)、メッテ・マーリット皇太子妃(Mette-Marit)、マッタ・ルイーセ(Matta Louise)王女です。マッタ・ルイーセ王女と夫君アリ・ベーン氏(Ari Behn)には長女のマウド・アンゲリカ・ベーン(Maud Angelica Behn)がおり、第3位の王位継承権を持っています。
■国王
国王ハラール5世は、両親の住まいであるオスロ近郊のスコウグンにあるお屋敷で生まれました。オラフ皇太子(その後の国王オラフ5世)とマッタ皇太子妃の一人息子であったハラール5世は、ノルウェーで567年ぶりに生まれた王子でした。ハラール王子の二人の姉、ラグンヒル王女とアストリッド王女はそれぞれ 1930年と1932年に生まれましたが、当時王位継承権があったのは男子のみでした。第二次世界大戦の勃発まで、ハラール王子は幼少期をノルウェーで平和に暮らしていたのですが、1940年4月9日にナチスの軍隊がノルウェーに侵攻したとき、王子は母君と二人の姉君と共にスウェーデンに逃れ、戦時中をアメリカで過ごした後、1945年にノルウェーに帰国しました。
高校を卒業後、ハラール王子はノルウェー騎兵将校訓練学校に入学し、その後陸軍士官学校へ進んで1959年に軍隊教育を修了しました。ハラール王子は、父君が国王オラフ5世に即位した1957年9月21日に皇太子となりました。そして兵役義務の終了と共にオックスフォード大学へ進み、勉強を続けました。 1960年から1962年までオックスフォード大学のベリオール・カレッジで社会科学、歴史、経済学を学びました。
1968年8月29日、ハラール皇太子はオスロのヴィンデレン出身のソニヤ・ハラルセン嬢と結婚しました。この結婚が承認されるまで9年間もかかりました。ストーティングの理事会、有力議員、内閣と協議を重ね、遂に国王オラフ5世は皇太子が平民と結婚することを許可しました。
ハラール国王は、父王の死去に伴い1991年1月17日に王位を継承しました。
■王妃
ソニヤ王妃は、カールとダグニー・ハラルセン(旧姓ウルリクセン)夫妻の令嬢として、1937年7月4日オスロに生まれました。1954年に高等学校を卒業後、服飾分野の職業訓練を受け、さらにスイスのローザンヌにある女子専門学校で学びました。その後ノルウェーに戻って、オスロ大学で学士号(フランス語、英語、美術史)を取得しました。
1968年8月29日、ソニヤ・ハラルセン嬢はオスロ大聖堂でハラール皇太子と結婚し、ノルウェー皇太子妃となりました。
■皇太子
ホーコン皇太子殿下は1973年7月20日、オスロの国立病院で生まれました。皇太子はハラール皇太子とソニヤ皇太子妃(その後の国王ハラール5世とソニヤ王妃)の2番目の子どもで一人息子です。皇太子が誕生した当時、王位継承権は男子に限られていました。従って、2年前に姉マッタ・ルイーセ王女が生まれていましたが、王位継承者はホーコン・マグヌス王子となったわけです。その後憲法が改正されて、女子も王位を継承することができるようになりました。ホーコン・マグヌス王子は1973年9月20日に王宮のチャペルで洗礼を受けました。彼の教父母は、ノルウェー国王オラフ5世、スウェーデンのカール16世グスタフ国王、デンマーク女王のマーグレーテ2世という、3人のスカンジナビア諸国の君主でした。王子は1988年に王宮のチャペルで堅信礼を受けました。ホーコン・マグヌス王子は、父君が1991年1月17日に王位を継承すると、ホーコン皇太子となりました。2001年8月25日、皇太子はオスロ大聖堂で結婚式を挙げて、メッテ・マーリット・ティェッセム・ホイビー嬢と結婚しました。
■皇太子妃
メッテ・マーリット皇太子妃は、マーリット・ティェッセムとスヴェン・オラフ・ビャルテ・ホイビーの末子として、1973年8月19日に誕生しました。ホーコン皇太子とメッテ・マーリット・ティッセム・ホイビー嬢との婚約は2000年12月1日に発表され、二人は2001年8月25日にオスロ大聖堂で結婚しました。
■マッタ・ルイーセ王女
マッタ・ルイーセ王女は、1971年9月22日にオスロの国立病院で生まれました。王女はハラール皇太子とソニヤ皇太子妃(後のハラール国王とソニヤ王妃)の第一子です。王妃の「マッタ」という名前は父方の祖母であるノルウェーのマッタ皇太子妃にちなんで、また「ルイーセ」は曾曾祖母であるデンマークのルイーセ王妃(スウェーデンのカール15世の娘でノルウェーのホーコン7世の母)にちなんでつけられました。憲法が改正されるまで、ノルウェーの王位継承権は男子に限られていたので、弟のホーコン・マグヌス王子(後のホーコン皇太子)は2歳年下ですが、王位継承権があります。
マッタ・ルイーセ王女は、ノルウェーのモス出身の作家アリ・ベーン氏と2002年5月24日にトロンハイムのニダロス大聖堂で結婚し、2003年4月29 日には 長女マウド・アンゲリカ・ベーンが生まれました。