ルクセンブルグのホテル

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ルクセンブルグ


●国名:ルクセンブルク大公国(Grand Duchy of Luxembourg)
●面積:2,586km2
●人口:41万2,800人
●首都:ルクセンブルク
●人種:ゲルマン系
●言語:ルクセンブルク語、フランス語、ドイツ語
●宗教:キリスト教(ローマン・カトリック)

※以下、在日ルクセンブルグ大使館より引用(2004年12月現在)

■国家の象徴 紋章、国旗、国の記念日(ナショナル・デー)、国歌
 1972年にルクセンブルグの紋章と国旗が正式に決定しました。しかしその際、国歌は法律による認定を受けませんでした。ルクセンブルグ政府が最近になって国のシンボルを保護する法律を定めたのはそのためです。
 1989年、1990年に制定された祝日は、ルクセンブルグ大公国にとって歴史的意義を持っています。それは、ルクセンブルグが単に政治的な意味に留まらず、真の独立国家であることを思い出させてくれるからです。ルクセンブルグの様々なシンボルは国民のアイデンティティー、独立国としての誇り、そしてなによりも“共に生きていこう”という願いを表しているのです。

■ルクセンブルグ大公国の紋章
 ルクセンブルグの紋章は、1235年から1239年の間にルクセンブルグ伯アンリ5世によって定められ、以来何度もデザインに変更が加えられました。現在、法律に規定された公式のデザインには以下の要素が不可欠とされています: 
銀と青の横縞地に爪を立てて猛り狂う赤いライオンが描かれ、金の王冠を被り曲がりくねった尾が交叉していること

■国の記念日(ナショナル・デー)
 18世紀末から、ルクセンブルグでは君主の誕生日を祝う習慣がありました。大公妃シャルロット(1919年〜1964年)の長い治世下で彼女の誕生日1月23日が常に祝日となりました。ところが、1961年には気候条件の悪い冬から祝日を移す目的で大公妃誕生日の祝日は6月23日に移行され、国民の休日と定められます。その後、1964年にジャン大公が大公位を継承した際にも、大公の実際の誕生日1月5日ではなく6月23日をそのまま祝日としました。

■国旗
 ルクセンブルグの国旗は、横に、赤、白、青(空色)の3色旗で、オランダの国旗と非常に良く似ていますが青色が異なります。法律によれば、オランダの国旗の青は群青色(ultramarine blue)であるのに対し、ルクセンブルグの青は空色(パントーン299c)となっています。

■国歌
 1972年6月23日付けの法律は国歌を定めた部分については、1993年6月17日付けの法律により修正され批准されています。1864年の「我が祖国」“オンス・ヘーメシト”(Ons Heemecht)の最初と最後の詩節の部分をもとにミッシェル・レンツ(Michel Lentz)が作詞、ジャン=アントワーヌ・ツィネン(Jean-Antoine Zinnen)が作曲したものが国歌となりました。フランス国歌のような軍歌とは異なり平和を生き生きとアピールするこの曲は、1864年エテルブルックにて初演されています。

■ルクセンブルグ大公国の歴史
一千年以上の歴史を持つ、ヨーロッパの中央部に属する国、ルクセンブルグ
今日のルクセンブルグの国土は、その昔、トリアの首都(Civitas Treverorum)の中央部に位置し、ガリア(Gaulish)人の領土でした。当時、トリアは名の知れない所でしたが、ジュリアス・シーザーがガリアを征服した後、ローマ帝国(3-4世紀)の重要な農業(特にぶどう栽培)・商業の中心地として栄えました。
ルクセンブルグの国が誕生したのは、西暦963年、ルクセンブルグ家の祖先であるアルデンヌのジーゲフロイド(Sigefroid)伯爵が、今日の首都の領土に城を築いたことに始まります。その当時、砦を “lucilinburhuc”(小さな城)と呼んでおり、これが変化してLuxembourgとなりました。9世紀にはルクセンブルグの町は城塞都市として発展し、『北のジブラルタル』と呼ばれるに至りました。ルクセンブルグ市は、既に1244年にはエームズィンド(Ermesinde)伯爵によって市民に自由権が与えられました。14世紀にはルクセンブルグ伯爵家の一族の中から(アンリHenri VII世、シャルルCharles IV世、ヴェンセスラスWenceslas、ジーギスモンドSigismondなど)4人の神聖ローマ帝国皇帝を輩出し、他にもボヘミヤやハンガリアの王となった人もいます。1354年にシャルルIV世皇帝は、ルクセンブルグを公国(Duchy)に昇格させました。
ルクセンブは長年にわたって、ブルゴーニュ公国、スペイン、オーストリア、ルイ14世や革命下のフランスなどの他国の統治下にありましたが、1815年のウィーン会議の結果、国を大公国に昇格させると共にオランダ王、ウィリアム(William)I世(オレンジ-ナッソー家)に個人の所有地として譲渡されることになり、自治を回復しました。
このオランダとルクセンブルグとの個人的な関係は1890年まで続き、この間に政治的な独立や自治権が強化されるとともに、民主主義に基づいた機関が発展しました。1867年5月11日はこの国の歴史の上で最も重要な日の1つです。1839年のロンドン条約で既得していた領土の独立と政治的な自治権が、この日の会議で再確認され、更に、会議参加国の保障のもとに永世中立国となることが正式に決定されました。
1890年より王権がナッソー家(ナッソー・ヴァイルブルグNassau-Weilburg)に移行し、 ルクセンブルグは自らの王家を確立しました。現在の君主ジャン(Jean)大公は、母君シャルロット(Charlotte)大公妃が退位したのに伴い、1964年 11月に即位されました。シャルロット大公妃はナッソー家の公女でしたが、1985年に永眠されました。ジャン大公は、ベルギー国王の姉君であるジョゼフィン・シャルロット(Josephine-Charlotte)大公妃との間にマリー・アストリッド(Marie-Astrid)、アンリ(Henri)(大公位継承者)、ジャン(Jean)、ギョーム(Guillaume)、マルガレッタ(Margaretha)の5人の子女もうけられました。
ルクセンブルグは中立国であったにもかかわらず、二度の大戦で二度ともドイツ軍に占領されました。国民は1940年から1944年までのナチ占領下、強力なレジスタンスを続け、第2次大戦中の戦死者数はソビエト連邦、ポーランドに次いで第3位に挙げられます。1944-1945年の“The Battle of the Bulge”『アルデンヌの合戦』では、ルクセンブルグの領土にもまたがって非常に激しい戦いがくりひろげられました。



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