※以下、
イスラエル大使館より引用(2004年12月現在)
■シオニズムとは?
紀元70年、エルサレムの町と神殿はローマ帝国によって破壊され、ユダヤ人は民族の独立を失いました。そして続く数十年の間に、エレツ・イスラエル(イスラエルの地)にいたユダヤ人は、その大半が郷里を追われました。しかし、ユダヤ人の帰郷への願いは絶えることがなく、その思いは祈祷や文学の中に表されてきました。毎年ユダヤ人は『過越しの祭り』の食事の最後に「来年はエルサレムで」と祈り、また結婚式では新郎が「エルサレムよ、もしも、わたしがあなたを忘れるなら、わたしの右手はなえるがよい」(詩編137)と唱えます。
ユダヤ人とエレツ・イスラエルとのつながりが表明されているのは、祈りの文句だけではありません。エレツ・イスラエルには、いつの時代にもユダヤ人が存在していました。19世紀の末、ヨーロッパで民族主義運動が勃興し、大陸で反ユダヤ主義が台頭してくると、オーストリアのユダヤ人ジャーナリスト、テオドール・ヘルツェルによってユダヤ人の民族主義運動、シオニスト運動が組織されるようになりました。
この運動がめざしたのがユダヤ民族の政治的解決であり独立国家の樹立でした。その国家の建設場所として最も自然だったのがシオン、即ちユダヤ民族の郷土、エレツ・イスラエルだったのです。
ヘルツェルはこの信条/ビジョンを著書『ユダヤ人国家』の中で説きました。彼が夢見たのは、ユダヤ人、非ユダヤ人ともども平和に静かに暮らしてゆける、繁栄・発展する国家でした。このビジョンを実現するものがシオ二ズムです。
■イスラエルがユダヤ人国家なのはなぜ?
イスラエルはユダヤ人の国ですが、少数派であるアラブ人も多くいます。この少数派は全人口の20パーセントほどを占めますが、法の下での平等の権利を持ち、宗教礼拝の自由をはじめ全ての個人的自由を享受しています。
しかしながら、ユダヤ民族の独立国家として祖先の郷土に建設されたイスラエル国は、民族の自決を表明するユダヤ人国家です。ユダヤ人国家であることは、バルフォア宣言や国連決議181など国際的な保証や決議にも謳われています。前者は英国政府がユダヤ人のナショナル・ホームをパレスチナに建設することを約したもの。
後者は1947年11月29目の国連総会で、パレスチナ(エレツ・イスラエル)における英国の委任統治を終らせ、その地にユダヤ人の国とアラブ人の国の二国家建設を決議したものです。
ユダヤ人側はこの決議を喜んで受け入れ、委任統治の終了とともにダヴィッド・ベンダリオンが「イスラエル国と称されるユダヤ人国家の樹立」を宣言しました。独立宣言は、宗教、人種、性別、民族に関係なく平等の権利を保証する民主的なユダヤ人国家の存続を誓約しています。この誓約は今日も尚、現実の試練に耐えています。
■ホロコーストとは?
1933年、ドイツで権力を握ったアドルフ・ヒトラーは、国家社会主義党政権を樹立させました。この政権はナチ党の人種主義を信条としていましたが、それによるとアーリア人であるドイツ人は「至土人趣」に属する一方、ユダヤ入はウンターメンシェン、即ち人間以下の存在で人類には属さないとされていました。
1939年、ドイツ軍がポーランドに侵攻し、事態は第二次世界大戦へと突き進んでいきました。戦争の初めの段階で容易に連勝を重ねたヒトラーは、ある計画を実行に移す好機を得ました。ユダヤ民族の絶滅です。それが行なわれたのは、主にヨーロッパでユダヤ人が最も集中していたポーランドの地でした。
戦後発見された文書から、ヒトラーが世界中の全てのユダヤ人の根絶を目指していたことが明らかになっています。その計画を履行するため、ドイツ軍はユダヤ人をゲットーに集め、強制労働・集結・絶滅を目的とした収容所を建設し、それらの施設にユダヤ人を移送しました。労働に適さないと見なされた者は殺され、残りの大半の者も餓死や病死へと追いやられました。
この戦争中の6年間で、ナチに殺されたユダヤ人はおよそ600万人、当時のユダヤ人口の約三分の一にのぼります。そのうち150万人は子供たちでした。背筋の凍るような効率性を以って実行されたこのユダヤ人絶滅計画は、単なる大量殺薮以上のものでした。それは規模・運営・履行手段において他に類を見ないが故に、ホロコーストという独白の名称を冠されているのです。
戦後50年が過ぎないうちから、ネオナチの人種主義者や反ユダヤ主義団体などが、ホロコーストが起きたことを否定しようとしたり、規模はもっと小さかったなどと主張してきました。こうした動きにはさまざまな理由がありますが、大半は政治的なものや反ユダヤ主義から発したものです。
ナチズムの衰退を払拭したいと願う者たちもいれば、イスラエル国はユダヤ人に対するホロコーストの補償として建国されたが故にホロコーストが起きたことを否定することでイスラエルの生存権を奪うことができると信じている人々もいます。
ホロコースト否定論に対する支持がアラブ諸国で高いのは、そのためです。しかし、ホロコーストは実際に起こりました。そして、それを記憶し、文書に残し、記念することで、二度と同じようなことがユダヤ人にも他の人々にも繰り返されることのない世界にしてゆくことができるのです。ホロコーストの否定は倫理に背いており、世界全体を脅かすものです。
■帰還法とは?成立の背景は?
1917年のバルフォア宣言には、「英国政府は、パレスチナにユダヤ人のナショナルホームを建設することに賛意を表する」と記されています。この声明に基づき、国際連盟は1922年、英国に対しパレスチナ委任統治を負託しました。
この委任統治は、1947年11月に採択された国連総会決議181に従って終わりを告げました。この決議にはまた、委任統治領内にユダヤ人の国とアラブ人の国の二つの国家を建設することが呈示されていました。アラブ側はこの決議を拒否し、履行させまいとして開戦しました。
そしてその一連の事態推移の中でダヴィッド・ベングリオンが「イスラエル国と称されるユダヤ人国家のエレツ・イスラエルにおける樹立」を宣言したのでした。独立宣言には「イスラエル国はユダヤ人移民並びに離散民の集合のために門戸を開放する」と明確に述べられています。
帰還法は、全てのユダヤ人にイスラエルに居住する権利を認めるもので、この声明を履行可能な言葉に翻訳し直したものです。従って、帰還法は、離散状態にある(イスラエル以外の外国に住む)全てのユダヤ人に自らの歴史的郷土に帰り帰化する権利を与えています。この法律はイスラエル国民を対象としてはおらず、イスラエルの非ユダヤ系国民を差別的に扱うものではありません。
確かに、外国の市民権を持っているユダヤ人を優遇してはいますが、イスラエルヘの帰化を願ってのことです。この法はまた、非ユダヤ系の人々のイスラエルヘの帰化を妨げるものでもありません。その場合は別の法律の下で可能となります。
■エルサレムが首都である理由は?
エルサレムがイスラエルの首都である理由は、歴史的にも、実質的にもきわめて当然のことです。
ダビデ王がエルサレムを王国の都と定めたのはおよそ三千年前のことです。以来エルサレムは、紀元後70年にローマ帝国によって破壊されるまで、常に歴代ユダヤ人政府の首都でした。ユダヤ人の独立は紀元1948年に回復され、エルサレムは再びイスラエルの首都と宣言されました。
この決定は基本法(1980)に銘記され、そこにはユダヤ人とこの町との密接な関わり合いが示されています。そして、エルサレムには大統領府、クネセット(国会)、政府、最高裁などイスラエルの主権を象徴する全ての機関が置かれています。大半の国がエルサレムをイスラエルの首都と認めていませんが、その理由は政治的なもので、自国の首都を自ら決定するというどの国にもあるべき基本的な権利を無視しているのです。
イスラエル国がエルサレムを首都に定めたのは、きわめて当然のことだったのです
■反ユダヤ主義って何?
日本語では・反ユダヤ主義あるいは反セム主義と訳される“anti-Semitism”とは、語義ではセム人に対する敵衝心を意味しますが、特にユダヤ人憎悪を指す言葉として使われています。この憎悪感は昔からのもので、ユダヤ人がその宗教観や民族の独白性を発展させて以来、あるいは自らの優越性を主張する外国文明とユダヤ人が接触をもつようになって以来、続いてきました。
反ユダヤ主義はイデオロギー上の要因と社会上の要因に根をもっています。社会的には・西および中央ヨーロッパにおける市民解放が完遂したことで、ユダヤ人とそれ以外の住民との間に軋櫟を生み出す背景が形成されました。それらの国々の民主制度においては・人種的な感情で物を考える人々に最終的な意思決定が委ねられた結果、ユダヤ人に対する反感は増大しました。ユダヤ人の権利を強調したり、埋めようのない社会的な相違や人種的な差異をことさら大きく言い立てる民族主義的イデオロギーがあったために、そうしたことが起こったのです。
実際、反ユダヤ主義は、ホロコーストの発生を促した最も顕著で破壊的な形態の人種主義でした。現代のヨーロッパにおける反ユダヤ主義は、数十年間抑制されてきたのち、最近になってイスラエル国憎悪という新たな形で一層激しく噴き出してきました。この憎悪は、アラブ諸国に見られる激しい反ユダヤ主義の原因ともなっています。
反ユダヤ主義者を茶化して言った定義のひとつに、「程度を越えてユダヤ人を嫌う人」というのがあります。このふざけた定義でさえ、大きな脅威の元を指し示しています。即ち、外国人恐怖症、見知らぬ人・部外者に対する恐怖と嫌悪感です。これは人間存在とは切り離せないものです。ユダヤ人は依然としてどこの国でも部外者と思われています。
■反シオニズムと反ユダヤ主義の違いは?
シオニズムとは、ユダヤ人の民族解放運動であり、民族の自決と独立という正当なる大望の表現です。シオニズム運動は、古来の民族にその祖父の郷土での主権国家を付与すべく創設されました。イスラエルは、この古来の夢を現代において政治的に具現化したものです。
反シオニズムは、イスラエルの正当性を突き崩すことにより、国際社会からイスラエルを締め出すことを目的としています。しかるに、シオニズムを中傷することは、イスラエルが諸外国と同等の国として存在するという基本的な権利を攻撃することであり、国際法の基本原則のひとつを踏みにじる行為です。
反ユダヤ主義と反シオニズムを区別しても、それは真撃さを欠くことにしかなりません。反シオニズムは「本質的に反ユダヤ的である」と、1967年にマーティン・ルーサー・キング・ジュニア博士が記したとおりです。実際、国際討議の場やマスコミにおける最近のイスラエル非難にともなって世界のあちこちで反ユダヤ的な事件が急増しているのも、偶然ではありません。
キング博士が述べたように、反シオニズムは「アフリカ人に正当なものと認め、その他の全ての国々に認めるのも問題ないとする基本的な権利を、ユダヤ人については否定する」ものです。それは、ユダヤであるがゆえのユダヤ人差別です。つまり、反ユダヤ主義なのです。
反ユダヤ主義が、社会における個人の権利をユダヤ人については否定するものであるように、反シオニズムは国際の場において民族としてのユダヤ人を攻撃します。幾多の社会で「ユダ公」が問題に対するスケープゴートに使われるのに似て、イスラエルは国際の場で激しい非難を浴びて孤立しています。
反シオニズムは、国連はじめ国際討議の場におけるイスラエル攻撃として、しばしば表明されてきました。ここ何年もの間、国際的な会合やイベントの大半は、テーマの如何を間わず、また中東紛争との関わりの希薄さを間わず、イスラエル非難の機会として利用されています。
民主主義の原則を奉じる国家としてイスラエルは、批判は、それが外国からのものであれ自国民からのものであれ、建設的な変化のための強力な推進力であると信じています。しかし、改善を求める正当な声と、イスラエルを絶えず孤立させ他国には適用しない基準を押しつけて非正当化をはかろうとすることとは、全く違います。こうしたことが行なわれる一方で、自国民が暴力的な攻撃にさらされ、その存在自体をも頻繁に脅かされるなかで、イスラエルが生存をかけて闘わざるを得ないことは、無視されているのです。