※以下、
在東京インドネシア共和国大使館より引用(2004年12月現在)
■インドネシアの正式な国名は「インドネシア共和国(The Republic of Indonesia)」です。
インドネシアという言葉は、ギリシャ語の「インドス(indos)」と「ネソス(Nesos)」という二つの単語から成っており、“東インドの島々”という意味を持っています。
インドネシアは世界最大の島嶼国家であり、主要な5島と中規模な群島を含めた17,508の島々から成り立っています。このうちの約6,000島に世界第5位の人口、約2億345万605人(2000年6月現在)が居住しています。
■地理的には、アジア大陸とオーストラリア大陸の中間に東西5,150km、赤道をはさんで南北1,771kmに渡って広がっており、大スンダ列島(スマトラ・ジャワ・カリマンタン・スラウェシその他)、小スンダ列島(バリ島から東へティモール島までの島々)、マルク(モルッカ)諸島及びイリアン ジャヤ島の4地域に分類されています。主要な5島とは、スマトラ(Sumatra:473,606km2)、カリマンタン(Kalimantan:539,460km2)、スラウェシ(Sulawesi:189,216km2)、イリアン ジャヤ(Irian Jaya:421,981km2)、およびジャワとマドゥーラ(Jawa, Madura:132,187km2)です。カリマンタンは旧名ボルネオ(Borneo)で、3分の1はマレーシア領とブルネイ領です。また、ティモール島の2分の1はティモール ロロサエ領、イリアン ジャヤの2分の1はパプア ニューギニア領になっています。
■ジャワ島はこの5島の中では最も小さいですが、インドネシアの全人口の63%が居住しており、また首都ジャカルタ(Jakarta)を抱え、政治・経済・文化の中心となっています。
ジャカルタは、当初、スンダ クラパと呼ばれる小さな港町にすぎなかったのですが、1527年にイスラム教伝道師ファタヒラーによって“ジャヤカルタ(Jaya Karta)大勝利の町”と命名されました。オランダ支配下ではバタビァ(Batavia)と呼ばれていましたが、1942年ジャカルタと改名されました。
ジャカルタはインドネシアの政治・経済・産業・文化の中心地である特別市として州と同等の地位にあります。
■歴史
1890年、ユージン デュボワ博士によって、最初のジャワ居住者と考えられているジャワ原人(ピテカントロプス エレクトス)の化石が発見されました。中部ジャワのトリニル村近くで発掘されたこの化石は50万年前のもので、その後も他の化石が発掘されています。
紀元前3,000年から500年ころ、モンゴル系のマレー人が中国やベトナム辺りからインドネシアへ移住し始め、新石器・青銅器・鉄器などの新時代の文化やオーストロネシア地域(太平洋中南部の諸島)の言語を伝えました。紀元前1世紀にインドの貿易商たちが大挙してインドネシアにやってきたため、インド文明の影響を受けるようになりました。インド人はヒンドゥー教文化と仏教文化をもたらしました。
やがて7世紀ころには、ヒンドゥ王国や仏教王国が栄え、壮大な建築物や寺院が数多く建立されました。ボロブドゥールやムンドットなどの素晴らしい遺跡が今も残されています。この時代にスマトラのスリウィジャヤ王国が栄え、東南アジアで最も強大な王国として600年間勢力を誇りました。
13世紀ころ、更に強大なヒンドゥー王国マジャパイトが東ジャワで台頭し、その後200年間の間にインドネシア全域とマレー半島の一部を統合、支配しました。インドネシア史における黄金期であるこの時代の名残は、ジョグジャカルタ付近のプランバナン寺院群や東ジャワのペナタラン寺院・ディエン高原の遺跡群など、ジャワ島内のいたるところで見ることが出来ます。13世紀にはまた、イスラム勢力の到来があり、モンゴルによる最初のインドネシア侵略もありました。13世紀後半には北スマトラの小イスラム国家が造られ、スマトラからジャワやマルク諸島まで、イスラム商人が島と島との取引で往来する間にイスラム教は広まっていきました。ヒンドゥー教や仏教は、イスラム教におされやがて衰退していきました。
1292年にマルコ ポーロがヨーロッパ人としてジャワに最初の足跡を印しましたが、本格的にヨーロッパ勢力が侵入してきたのは16世紀になってからでした。1511年、ポルトガルの第2代総督アフォンソ ダルブケルケががマラッカからバンテンやドゥマクへ入り、当時のイスラム王朝諸国を支配しました。17世紀になると、オランダ人たちが進出してきてポルトガル人に代わり、インドネシア全域にわたる支配を始めました。1602年、オランダは連合オランダ東インド会社を設立して香料とコーヒーの輸出を独占し、1619年にジャワに総督を置いてインドネシアをオランダの植民地帝国としました。以後、第2次世界大戦が始まるまでオランダ支配が続いたのです。
オランダ領東インド(スマトラ、ジャワ、スラウェシ、カリマンタン、マルク、ニューギニア)と総称されたこの地域は、1811年から1816年までの短期間、英国の支配下にありました。ジャワ及びその属領の英国副総督トマス スタンフォード ラッセル卿は、植民地政策下でのリベラルな姿勢とジャワ史に関する研究とで知られた人物です。
英国支配再びオランダ支配へ戻ったあろ、被植民地支配から抜け出そうとするインドネシアの独立運動は盛んになり、各地で反乱と鎮圧が繰り返され、次第に激化していきました。それは第2次世界大戦が始まって、オランダ軍が日本に敗れるまで続きました。
大戦中の日本軍占領下でインドネシアの独立運動は一致団結する機会を得、1945年8月15日に日本軍が連合軍に降伏した直後の8月17日、インドネシアは独立を宣言したのです。その後の戦いは続けられましたが1949年12月27日、オランダは終にインドネシアの主権を認め、インドネシア共和国が正式に成立しました。