※以下、
中華人民共和国大使館より引用(2004年12月現在)
■万里の長城
長城の建造は紀元前の春秋戦国時代に始まり、17世紀の明朝末まで2000年余にわたって続けられた。万里の長城は東から西へ山々に跨がり、峻険な峰々を越え、草地を穿ち砂漠を越えて、中国北方の大地を横断している。
万里の長城は軍事防御工事として、その宏大さ、建築の困難さ、継続時間の長さから見て、中国史上のみならず、世界史上においても稀に見るものである。そのために世界7大奇跡に数えられている。
長城は、中国封建社会の興隆と衰亡とともに、2700年の歴史を刻んだ。その長さは万里(5000km)にとどまるわけではなく中国の東北、華北、西北、黄河流域の16の省・市、自治区のいずれにも長城の遺跡がある。各王朝が建造した長城の長さを全部足せば、5万kmを超え、工事量の膨大さは、ほかのいかなる工事とも比べることはできない。たとえば、これらの工事に使われたレンガ、石、掘り出した土で、幅1m、高さ5mの壁を築けば地球を十数周回ることができる。
1987年、長城は国連ユネスコの「世界の遺産リスト」に正式に登録され、人類共通の財産となった。
■紫禁城--北京の故宮
紫禁城(しきんじょう)の建築物には赤と黄色が併用され、天下の中心である皇宮の至尊を表している。
保和殿の後方にある長さ16.57m、重さ約300tの巨大な雲竜模様の石刻。
紫禁城の最大の門、太和門と金水橋。中央の白い石畳の道は皇帝専用の御道で、故宮を貫く中軸線をなし、当時の中国の中央子午線でもある。
■地下の奇跡--秦始皇帝陵と兵馬俑
中国の古都西安から東へ30キロ行くと、平坦な農地の中に緑に覆われた巨大な陵墓が小山のように見えてくる。それは紀元前221年に中国を統一し、中国史上初の中央集権封建国家を樹立した秦の始皇帝の陵である。石でなく黄土を突き固めて築かれた始皇帝陵は完全に秦の都、咸陽を模して設計建造され、総面積は60平方キロメートルを超え、現在の西安市街区よりも広かった。
始皇帝陵の兵馬俑坑は世に比類のない地下大軍隊である。坑内には陶俑や陶馬が約8000体、木造の戦車が100点余り、青銅の兵器が4万点余り埋葬されている。兵馬俑全体は雄渾で洗練された風格を持っているが、詳細に見ていくと、1体ごとに造りが異なり、それぞれ生き生きとした表情を呈している。兵馬俑は写実、リアリズム彫塑の先駆であり、彩色彫塑も唐ではなく秦に始まったことが判明した。
いまだに解明されていない数多くの謎に包まれる秦始皇帝陵は多くの考古学者を心ときめかせている。
■歴史の凝縮―平遥古城
中国山西省の中部にある平遥城。この小さな都市は、西周宣王の時代(紀元前827年〜紀元前782年)に創建され、2700年余りの歴史をもつ。史料記載によると、紀元前221年に中国で郡県制が実施されてから、ここはずっと県都所在地で、今でも明や清の時代の県都の様子がそのまま残され、中国の漢民族地区でもっとも完全に保存されている古城である。
平遥は、漢民族の伝統的な都市計画構想と様式にのっとって建造された県都で、壕内の城下は、市楼を中心に四つの「大街」、八つの「小街」及び72の曲がりくねった路地が交差している。市街の機能は明確に区分され、秩序ある配置をなす。市内の民居はすべて青レンガ、灰色瓦の伝統的な四合院造りで、完璧な左右対称をなす。とくにレンガを切って積んだ「窯洞(洞穴式の住居)」は、濃厚な郷土色を感じさせる。また壕内のあちこちに大小の寺廟が分布し、昔ながらの店舗が軒を並べ、古色豊かな建築物が明や清の時代の市井の繁華な様子をしのばせる。
巨大なレンガを切って建造された亀形の壕をもつ古城壁も建造の初期に土を固めて築かれた小さなものだったが、明の洪武3年(1370年)に、現在の規模に拡張された。600年余りの風雨に耐えて今も当時の勇姿を止めており、昔日同様、この土地を堅固に守っている。全長約6キロメートルに及ぶこの古城壁は、孔子の3000人の弟子と72人賢人をもじって、3000の射撃用の金口と72の見張り台をもつ。
平遥といえば、「晋商(山西省の商人)」と「票号(旧時の金融機関の一種)」に触れないわけにはいかない。平遥は、「晋商」発祥の地のひとつであると同時に、中国初の為替、預金、貸し付け業務を専門に扱う近代銀行の雛形「日昇昌票号」の誕生の地でもある。平遥は一時中国金融業の中心地となり、中国の近代金融史上、重要な位置を占めていた。
古城平遥は、漢民族の都市の優れた特徴をすべて保存しており、中国発展史における文化、社会、経済及び宗教発展の非凡で完璧な絵巻を人々に示してくれる。
輝かしい歴史をもつ古城平遥は今も昔日と変わらぬ魅力にあふれている。